2007/12/28
2007年が終わる。今年は音楽的な収穫が乏しかったが、面白い本に出会うことができた。『パソコン創世「第3の神話」』という本がそれ。2005年に米国で出版されたものの翻訳。時間差があるのは仕方がないが、少しでも早く読みたかったなぁと思わせるくらい面白かった。
いまやすっかり当たり前の存在となったパソコン。そのルーツはゼロックスのパロアルト研究所にあるとか、ホームブルー・コンピュータ・クラブというホビイストの集まりから生まれたとか言われている。しかしこの二つの説は間違ってはいないが、それだけでは足りないのだ、という主張のご本。
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いつの時だって当たり前だが、「時代背景」というものがある。パソコンが生まれた時代はどんな時代だったのか。その時代の空気を著者は見事に描き出してくれた。前書きで著者はこう書いている。
『60年代が終わるまでに、米国の政治や社会は広範な激動によって変容を遂げ、その前の10年間にあった気楽な中産階級の虚飾が剥がれ落ちた。市民権、サイケデリック、女性の権利、エコロジー、反戦運動などのすべてが、アメリカが好んできた戦後の理想の多くのものを否定する、カウンターカルチャーの興隆に一役買った。今では当たり前のコンピュータ技術は、この抗議行動やドラッグの実験、コミュニティー、無政府的な理想主義に彩られた混乱の時代に形作られた。』
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カウンターカルチャーについて、僕はぼんやりしたイメージしか持っていなかった。家族にヒッピー的な人間はいなかったし、70年台に日本で少年時代を過ごした自分にとって、それは遙か昔に終わった出来事で、おぼろげな輪郭すら見えなかった。しかし、何事もぷっつり途絶えて、消えてしまうものではないようだ。その残滓はとても強力なもので、姿を変えながら周囲に影響を与え続けていたんだということを、この本で知った。続けて前書きから引用。
『いまときめく「just say no」というドラッグ撲滅の道徳観からは、60年代のドラッグに対する考え方が、どんなに違ったものだったかを理解することはほとんど不可能だろう。特にLSDは物議をかもし出し、今では悪者扱いされ、その影響力は言葉巧みに退けられてしまったが、40年前は文化的戦争を決定づける力があった。66年6月28日号の『ルック』誌を見ると、カリフォルニアとそこの「イッてる」人々の記事が出ている。そこには「多くのカリフォルニアの住人は、きちんとした学生や有名プロまで、ドラッグを十分コントロールした上で非常に『まじめに』使っている。彼らはLSDを興奮剤や治療にではなく、新しい豊かな意識の世界を覗くために使っている」と書かれている』
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「just say no」は日本でいう「ダメ。ゼッタイ。」みたいなもんか。たしかの現代の主流の考え方だが、40年前はまるで違っていたわけだ。さらに、できたばかりのiTunesを披露しながら語る、スティーブ・ジョブズが登場する。言わずとしれたアップルのCEO。続けて引用。
『今では世界中を自社のジェット機で飛び回り、10億ドル以上の個人資産を持つ彼だが、自分が育った時代に深い感情的絆を感じていた。彼はLSDの体験が、自分の人生の二、三の最も重要な出来事の一つで、よく知っている人たちが自分を理解できない部分があるのは、彼らがそれを実践しなかったためだと言った。彼はまた、自分のカウンターカルチャー的なルーツのせいで、今率いている企業の中で、自分がアウトサイダーのように感じるときがあるとも言った。』
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前書きだけでこれだ。非常に濃いい〜。
数多の人物が登場し、様々な戦争や政治にまつわる状況、当時の風景、音楽、風俗が描写されていくこの本。とにかく濃厚で、その濃厚さが、そのまま60年代の西海岸のカオス的状況を表しているようだ。
その中で主役的な人物として取り上げられるのが以下の三人。
ダグラス・エンゲルバート
フレッド・ムーア
マイロン・ストラロフ
エンゲルバートは、コンピュータを人間の心を拡大する装置、人間の知性を拡大するために使う装置ととらえ、コンピュータと人間が直接やりとりをし、集団でコラボレーションするというビジョンを持った希有な人、天才だ。
ムーアは反戦運動の口火を切った平和運動活動家。こどもの頃、東京に暮らしていた経験を持つ。活動家として情報ネットワークの必要に思い至った。
ストラロフは国際高等研究所を設立し、そこで四年間にわたって、シリコンバレーの優秀な技術者350人以上に、LSDを使った創造性拡張の実験を行なった人物。
この三人が核とはなりながらも、たくさんの人物がからみあって、話は進められる。
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当時、コンピュータはガラスの向こう側にあって、ただ数字を処理するものだった。個人がコンピュータを所有し、日々の作業をアシストするなぞとは、想像すらできなかった時代だ。そこからいかにしてパソコンが生まれ出ずるのか・・・
マウス、キーボード、イーサネット、インターネット、コンピュータゲーム、FM音源、フリーウェア、、いまや当たり前の存在であるものが誕生する時代。それらを熱狂が生み出したであろうことを想像するだけで興奮してしまう。
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143ページにハッカー美学というものが出てたので以下に引用。
『・コンピュータへのアクセス、もしくはこの世界がどう動いているのかを教えてくれるどんなものへのアクセスも、無制限で全体的なものでなくてはならない。いつでも、自分からやってみることが至上命令!
・すべての情報はフリー(自由・無料)であるべき
・権威は信じるな、分散を促進せよ
・ハッカーは学位、年齢、人種、地位などのいんちきな基準ではなく、自分のハッキングによって評価されるべき
・コンピュータには芸術や美を表現できる
・コンピュータはあなたの人生をより良いものにできる』
なんだか当時のフレッシュな勢いを感じられるじゃないですか。
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この本はもちろん、当時のアシッド・テストが与えた影響についてもそこかしこで触れている。ちょっと長いけど162ページから引用してみる。
『65年の12月4日のこと、ミッドペニンシュラでカルチャー全体を揺るがすような事件が起きた。その夜には、サンフランシスコの南にあるカウパレスでローリング・ストーンズが演奏しており、ケン・キージーがジェリー・ガルシアという若いギタリストをそそのかし、バンドをサンノゼにあるビッグ・ニグズというクラブに連れてきて、アシッド・テストをやろうと提案していた。これはまた別のものに変容し、電子楽器やライトショーや大量のLSDが持ち込まれ、ドラッグの威力を何千倍にも拡大するものになっていた。アシッド・テストはパロアルトやミュア海岸、オレゴン州のポートランドなどいろいろな場所で催され、次の年にサンフランシスコで開かれたスチュアート・ブランドのトリップ・フェスティバルで最高潮に達した。グレートフル・デッドはその波に乗りサンフランシスコの音楽シーンを創造し、それが国中のカウンターカルチャーを生み出す原動力になった。カウンターカルチャーは、フリースピーチ運動が起きて過激化したキャンパスの政治的不安の混乱を、一点に収斂するようにして生じた。この動きが60年代から70年代にわたってスタンフォードのキャンパスを飲み込み、パーソナル・コンピュータを生み出すアイデアを持った若者たちの人生を変えていった。』
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上の引用に出てきたスチュアート・ブランドは、68年に「ホール・アース・カタログ」を作った人で、ストラロフの流れをくむLSD実験の被験者でもあった。バックミンスター・フラーの講演を聞き影響を受けていたブランドは、LSDをキメながら地球は丸いをことを「発見」し、惑星全体の環境と人間の立ち位置という発想を得た。この発想がアース・デイにつながり、今日に至っている。
ブランド曰く「自分の教育を自分で決め、自分のインスピレーションを見つけ、自分の環境を自分で整え、興味を持った誰とでも自分の冒険を分かち合える個人のパワーが育まれる、親しみ深い王国が形成されつつある。この過程を手助けし助長するツールが『ホール・アース・カタログ』なのだ」
「ホール・アース・カタログ」は累計150万部以上を売り、72年に全米図書賞を受賞している。(スティーブ・ジョブズは有名なスピーチの最後に、この本に触れている。座右の銘は“Stay hungry Stay Foolish”だと)
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そういやグレートフル・デッドは、自身のライブの録音や録音したテープが交換されて拡がるのを歓迎していた。録音する人、テーパーのためのエリアを会場に設けたほどだ。これはフリーウェア・共有と同様の思想だな。
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68年12月9日に「すべてのデモの母」と呼ばれるエンゲルバートのデモンストレーションが行われた。今から40年近く前のこのデモで、今、私たちがモニターに向かって行なっていることとほぼ同じことを披露してしまった。これは「2001年宇宙の旅」が現実なってしまったかのような驚きだったに違いない。
しかし、エンゲルバートの理想的な環境は、簡便さに欠ける(操作に半年くらいの学習は必要!)という点がネックになり、真に世に拡がることができなかった。(学習に手間取っても覚えてしまえば、より広大な知的拡張を感じられるようなものなのだろうか・・・興味はあるけども・・)
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・・・本はさらに、ホームブルー・コンピュータ・クラブでの話へと続いていくが、現代のマイクロソフト帝国とオープンソース思想の確執や、著作権をめぐる攻防は、すでのこの時代に端を発していた、根本的な問題なのだということがよくわかる。
自分にとっておぼろげだった60年代、カウンターカルチャーというものが、目の前のコンピュータと深い関わりがあり、途切れることなく今に繋がっているものだということを知った。実に面白い本だったな。カウンターカルチャーに改めて興味を持つことができた。
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この本の原題は「What the Dormouse Said」(山鼠の言ったこと)、ジェファーソン・エアプレインの「ホワイト・ラビット」の中に出てくるフレーズだ。不思議の国のアリスの中で「山鼠の言ったこと」とは「Feed Your Head」だ。マウスの父と呼ばれることもあるエンゲルバートが、ネズミ年である来年に、歴史的デモンストレーションから、ちょうど40周年を迎えるというのも、ネズミづくしで楽しい偶然だ。それではみなさん、よいお年を。
2007/12/13
朝から雨。ちょうどいいので上野にムンクを観に行ってきた。雨のミュ〜ジアム〜。案の定、人は少なめでゆったりと鑑賞できた。最初の部屋が一番インパクトあったな。展示方法のためのスケッチもよかった。独特な作家だな、ムンク。ノルウェーらしさ北欧らしさとでもいうのか。
ついでに常設展も回ったけど、ミレーとマネの作品がよかったな。無機質なモニター画面を離れて、肉筆画を間近に観ると感動するわ。息遣いが生々しくて。
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新宿のオアシス、ベルクが存亡の危機だと!
まったく、この店がなくなったら困るんじゃ。なくすなボケ!!
2007/12/11
昨日はFIFAクラブワールドカップ準々決勝 セパハン×浦和レッズを、ワンセグチューナーを付けたPCで、横目に見ながら事務所で仕事をしていた。無事に快勝。ミランとの闘いが見れるのは楽しみだな。一安心して仕事を終え、家路についた。
外に出て、駅に向かうと、消防車が1台、救急車が1台いる。ボヤでもあったのかなと思いつつ通りを過ぎると、パトカーも1台来ていた。
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今朝、出勤しようとしたらテレビカメラがたくさん集まっている。なんと強盗があったらしい。しかも事務所の最寄り金港堂書店さんじゃないか。男性社員(51)ってあのおじさんか?。以前、本の取り寄せをしてもらったのだが、「注文は2冊でしたよね、なぜか1冊しか届かなかった、どうしましょうか」と、申し訳なさそうに携帯に連絡をくれた。そのやり取りが、なんだかほんわか優しい感じで、お店で見かけるときと印象が違っていたので、ちょっと好きになったのだった。意識不明の重体とは心配だな。
犯行は午後9時頃。サッカー見ながら仕事をしていた雑居ビル5階の僕の席から右手下方へ50メーターほどか。そんなところで強盗とは嫌な気分だ。金銭目的の殺人、強盗殺人は一番罪が重いはず。すみやかに犯人が捕まることを願ってやまない。
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最近いろいろ認知症的なボケがひどくなっている。
段ボールに印刷してあった「うさぎ」という文字が「うなぎ」に見えたりするのは目が悪くなったせいか。ドイツ人は犬を食うと言うのでビックリしたが、よくよく聞いたら「いも」であった。耳も悪くなってるのか。
「サバティーニ」と聞いて、鯖を取り分けるイタリア人の絵が頭に浮かぶので、視覚聴覚を統合する部分もモヤモヤしてるのかもしれない。
2007/12/9
木曜日、親父と六本木ミッドタウンで待ち合わせ、サントリー美術館で「鳥獣戯画がやってきた!」を観た。やはりしょっぱなに展示してある巻物がよかった。
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展覧会を観ている間から何となく悪寒がし、昼食をとっている間に明らかに体調に異変を感じ、親父と別れて仕事場に戻ろうと思ったときには、くしゃみ連発、鼻水だらだら。こりゃいかんと仕事をそそくさと終え、早退。
自宅についてしばらくすると、あっという間に熱が39度に。あらビックリ。
こういう時、優しく頼りになりそうだよねと、他人から思われがちな看護師のかみさんは、「インフルエンザかもしれないから、さっさと病院に行っといで!」と実にそっけない。まっ、そんなもんです。
インフルエンザのテストは陰性だった。汚い話で恐縮だが実にお腹にくる風邪で、解熱剤の他にそっちの薬を処方してもらって帰った。僕は熱は菌との戦いの結果、出ているものだと思うので、基本的に解熱剤は飲まない派。風邪の時は栄養をとるというのも、なんかおかしな気がするので、食欲が出るまでは食べない派。腸の動きを止めてしまうヤツ以外のそっちの薬だけ飲んで早々に床についた。
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明けて金曜日。仕事があるので、解熱剤を飲んで仕事場へ。至急のものを片づけ、申し訳ありませんが早退。帰宅後しばらくすると、薬が切れたのか、また熱が上昇。8時頃には39.2度以上に。その後どのくらい上がったのかは、寒くて手を布団から出すことができなくて、測れず。ガタガタ震えていると、かみさんが帰宅。「美容院、行ってきた〜。どう似合う〜?」
うぅ、コロス・・・。
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翌土曜日。ようやく食欲が出てきた。昼飯は普通にとったが、やはり微熱&お腹遠雷。「ごめんね〜、地元の友達と飲んでくる〜」とかみさんは出かけてしまい、一人ぽつねんとテレビで土曜ワイド劇場「半落ち」を見たりする。泣ける。
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本日、日曜日。やっと平熱。ああ、平熱って素晴らしい。お腹も通常営業に戻ってくれたようだ。ありがとう身体・マイバディ。君こそ俺。これからもよろしく。
念のために厚着して久しぶりのお出かけ。外は正月みたいな空。わりかしご近所のGさん夫婦を誘って「山手トンネルウォーク」へ。11時に中野坂上で待ち合わせ、初台方向へちょっと歩いて長者橋入口より地下へ・・・。
「こんにちは〜」「こんにちは〜」と白いパーカを着た、笑顔のお兄さんお姉さんたちに爽やかに迎えられる。が、東中野住んで10年近く、この地下高速工事の迷惑と一緒に暮らすことを余儀なくされて来た自分としては、コノヤロー、見てやるぞ、コノヤロー、ションベンでもどっかにひっかけて来てやるぞ、くらいの気持ちであった。(しかし、できたのは消防設備のホースを股に挟み、チ○コに見立てて放水する真似くらい。苦笑いしながらも、優しく「その持ち方では・・・」と設備の説明してくれるお兄さんに、なんだか申し訳なく縮こまってしまうのであった。大人げない四十歳)
いかにもトンネル。
トンネルなので、要するにトンネルでしかない。
超クール。でも腸はクールにしたくない昨今。
しかし、悔しい。どっかに不備があるんじゃないのか。地下を掘りまくりやがって、大丈夫なのか。都営12号線改め大江戸線の開通時も、新しい駅は水漏れ対策のビニールシートだらけだったぞ。どっか水漏れ、水漏れ・・・
はっけ〜ん。水漏れ〜こう〜すけ〜♪
「ここの上は神田川が流れているんですよ」と説明お兄さん。
ほう、川の汁ですか。
「ここの下は大江戸線です」
大丈夫なのか、、、大丈夫なんだろなー。
こういうの押すことありませぬよう。
首都高速中央環状線。制限速度は60キロ。ここで米倉涼子を使って新型GT-Rの復活をアピールしたそうだけど、、、GT-Rも60キロ。
初の高速道路に面したトイレ。これで渋滞時もすぐに用が足せて安心ね、と注目を集めていました。上の標識、「ト」はトイレを意味するそうです。(嘘)
出口付近にも一ヶ所、水がポタポタポタポタ。まっ、こういうのは今月22日の開通までに綺麗に直すんでしょう。
ここを徒歩で歩くことはおそらくもう一生ないのでしょう・・・
・・・だから何? って感じでもあり・・・
それなりに楽しい見学を終え、外に出るとオペラシティが目の前。HUBで昼酒を軽く飲んで解散。とりあえず、山手通りから工事車両が消えて、すっきりしてくれる日を、この目で見れそうでなによりでございますよ。
2007/12/5
公私ともにざわついた11月だった。そんな11月のとある週末、石神井公園に出かけ、ぼんやり過ごしてみたりしたのだった。公園の一服どころの豊島屋さん。「孤独のグルメ」お馴染のこちらで、おでんとビール、ワンカップと田楽などを。冬の光を浴びる人々を酔眼で眺めてると、まるでここは桃源郷ではないかと思えてくるのだった。





