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05/12/2009 農業やってます。
 高知へ来てニ年一月がすぎようとしている。昨年の三月、無事に「有機のがっこう土佐自然塾を卒業し、四月無事に就農した。就農した場所は高知県の安芸郡田野町という海沿いの小さな町で東へ20km程行くと室戸岬だ。なんと日本で二番目に面積の小さな町で、東西4km南北7.5km。楽に歩いて通過できる。人口は約3100人。毎月少しづつ減少している。

 町には小さな漁港があり、近在の町を合わせるといくつもの漁港から魚が水揚げされて鮮魚店やスーパーにならぶ。旨い、旨い、魚が旨い。朝、水揚げされた魚が昼過ぎには店頭に並ぶ。イワシなんぞはエメラルドグリーン。鯖だって刺身で食べてる。旨いなんてもんじゃぁない、体が痺れて記憶も飛びそうになる。あたった訳じゃないよ。その他、太刀魚、ぶり、鯵、イカ、もちろん鰹、高くてあんまり食べれないけど金目鯛、珍しいところでマンボウ、ご禁制のクジラ。数え上げればきりがない知らない魚もいっぱい。魚好きには堪えられない。

 この田野町、人口3100人程の町とは思えない施設の充実ぶりだ。図書館を併設したホールがあり、総合病院、スーパー、コンビニ、駅もある。まず、普通の生活で困る事は無い。おまけに、僕の住まいからは全て徒歩圏内。そして、住まいから海まで30秒。旧道には、漆喰壁の古い家が点在する風情のある田野町は温暖で過ごしやすいとてもいい所だ。

 肝心な農業の話。この田野町に就農して一年が過ぎた。畑は大野台地、中野、岡地、開(ひらき)と数カ所に点在するが、その中でも大野台地は景色が最高。台地の眼下にパノラマに海が広がり、冬には海に沈む太陽を見る事が出来る。さて、成果と言えば昨年は、散々であった。主力で作ったゴーヤは手入れが行き届かず虫が大発生。ほとんどを食われてしまった。味は最高だったんだけど・・・。トマトは加湿による病気。これも手入れ不足。他の野菜も似たような感じ。失敗の原因は分かっているので次ぎに生かせばいい。気持ちを切り替えて秋作の準備で畝をたてようしていた前日、交通事故に遭って右手を痛めてしまい3ヶ月程仕事ができず、結局冬の収穫は無し。
 
 今年の正月には、北海道からはるばる友人が手伝いに来てくれ、半月以上も作業をしていってくれた。おかげさまで、岡地の畑一面にスナップエンドウが実ってる。少し作付けが遅れたり、育苗ハウスのビニールが風で吹っ飛んだりで、苗の調子は今イチで実の付きは少ないのだが、虫もつかずキレイなスナップエンドウが実っている。農薬を使わなくてもいい物は出来ると証明された。化学肥料も使ってないので本当に美味しい。なんせ植えたのが一反(10a) 2000本以上の苗を植えているので収穫するのだけでも大変。

 ぜひ皆さん、「たまり農園」に遊びがてら手伝いにおいでください。新鮮な野菜と魚。僕の手料理つきで歓迎しますよ。


たまり農園
高知県安芸郡田野町2433-12
e-mail:oisii.tamari@amail.plala.or.jp

01/27/2008 今日の銭湯はぬるめ
 11日の早朝。なんだかんだでもめて東京へ着くが、中途半端な睡眠で体が重い。この日、先ずは御徒町にある早朝6時から営業している銭湯「燕湯」に行こうと決めていた。時間もちょうどいい、着くころには開店してるだろうし。

 山手線に乗り換えて、御徒町で降りる。一度しか行ったことがないので、場所が若干心もとないのだが・・・。あるある、銭湯の暖簾がゆれている。嬉しいねぇ、こんな早朝に銭湯に入れるなんて。下足入れに靴を入れて、がらがらっと扉をあけたと同時に、銭湯のおやじが番台に向かって話しながら風呂場の方からやってきた。「今日は、斉藤さん一番風呂じゃなかったし、みんな身体が冷えてるからぬるいくらいだよ」。おっ、良かったぬるいんだ。と、安心した。だいたい、東京の銭湯は熱すぎる。最低でも42度、普通に44度くらいはある。よしよし、ぬるいんだ、じゃあ43度くらいかなぁ、と、脱衣棚を開けてバックパックを入れる。燕湯の棚は大きい30リットルのパックが楽に入る大きさだ。旅行者には嬉しいかぎりだ。洗い場で湯をかけて身体の汚れをながし、湯に入る準備をしてると湯船のほうから「あちちっ!」と声が聞こえる。見るとおっさんが一人、湯船に入れずに悪戦苦闘しているではないか。えっ、ぬるかったんじゃないの?と、温度計を見に行く。48度を針は指している。まいったねぇ、入れるかなぁ?洗い場にもどって少し熱めの湯をかけながら思案する。湯船を見ると70歳くらい頭のはげた、ちょっと太り気味のおっちゃんが涼しそうに入ってるじゃぁないか。意を決して僕も湯船に入ることにした。

 湯船に、足をつけるが、あまり熱さに思わず引き抜いててしまう。すると、湯船に使っていたおっちゃんが「ざっと、一気に入んなきゃ。一気に、一気に肩まで入んなきゃ入れないよっ」と江戸っ子らしい口調で言う。言われたとおりに一気に肩まで入る。入れた。入れるもんだなと感心した。しかし、入っていると熱いを通り越して“痛い”足先からピリピリと痛い。おっちゃんに「毎日来ているんですか?」と聞くと「やることないからねぇ」と答えが返ってきた。「いつも、こんなに熱いんですか?」と聞くと、嬉しそうな笑顔で「今日は、ぬるいほうだよ。いつもは50度あっからねっ」「この温度だと、常連さん、ぬるいよぉーって文句言っちゃうよぉっ」て・・・ ああっ、ほんとにぬるかったんだぁ・・・。

01/27/2008 乗車券を拝見いたします
 1月11日の話。久しぶりの東京行き、静岡で途中下車し友人と酒を飲み、深夜2:19発の「ムーンライトながら」に乗り込んだ。切符はいつものように青春18切符。指定券(ムーライトながら上りは全車指定)は途中の米原で購入しておいた。

 東京到着は5:05。すぐに寝ればぎりぎり3時間の睡眠、レム睡眠にちょうど良い時間だ。僕は、自分の席を見つけ座るなり寝入ってしまった。とたん、「お客さん、乗車券を拝見いたします」と車掌に起こされてしまった。深夜の2時過ぎ、それも寝ている客を起こしてまで検札をする必要があるのだろうか?車掌は威圧的な態度でまた「乗車券を拝見いたします」と睨みつける。まるで、最初からキセルあつかいだ。「寝てたところを起こしてまで検札する必要があるのか?」と言うと「義務ですから」と横柄に答える。さらに、「起きていたでしょう」などとふざけたことを言う。その、横柄な態度に頭にきたので「見せられない」と言うと車掌は「警察を呼びますよ」と言う。「呼べば」と言うと、その後の乗客の検札もせずに、そのまま立ち去って行った。

 また、すぐに寝入った僕を起こすやつがいる。さっきの車掌とは違う駅員だ。その右後ろに、さっきの車掌がこそこそとおどおどした表情でいる。左のほうには、警察官がずらっと5人。沼津駅、電車は停車している。最初に起こされた時から30分くらい経過している。駅員は沼津駅の駅員のようだ。あの車掌、ほんとに呼びやがったよ。節操のない野郎だ。こんな、夜中に。まったく、腹が立つ。

 また、さっきのように「見せろ」「見せない」「起こした」「起こしてない」のくだらない押し問答が、警察官も含めて続く。「降りてください」とまで言いう。後ろに、控える若い警察官は、今にも飛びかからんばかりの形相でこちらを睨んでるし。これじゃ、まるで凶悪犯あつかいだ。この、善良な市民を捉まえて。こりゃ、なおさら見せられないなと思って、にらみ合いが続いたが。ちょっと外を眺めてみたら、列車は沼津駅で止まったまんまだ。あ、こりゃまずい!僕のせいで列車が止まってる。最後まで、つっぱりきりたかったが、他の乗客の迷惑を考えて乗車券を出した。その、乗車券をじっくりと見た駅員は、さも残念そうに苦虫を噛み潰したような顔で「正規の乗車券です」と警察官に告げると、警察官も悔しそうな顔をする。さらに、「失礼しました」の一言もない警察官と駅員。「あやまれ」と言うと「あやまらない」と引き上げて行く警察官。駅員はいやいやながらも謝っていった。ほんとに、態度が悪い。だいたい、乗車券を持っていたら喜ぶべきではないのか。無賃乗車の犯罪人を出さなくてすむのだから。

 しかし、なぜJRはこんなにまで執拗に検札をするのだろうか?特急ならまだわかるが、普通列車でだ。それも深夜、寝ている人を起こしてまでだ。もう、生き物としての行為を逸脱している。これが、犬だったらきっと噛みついているだろう。ゴルゴ13だったら首の骨を折られている。

05/12/2007 半世紀
 つい先日、五月七日に五十才になってしまった。半世紀生きてきたことになる。時の経つのは速いものだが、思い返せば色々ありすぎて胸がいっぱいになる。別に誕生日ではなくても毎日毎日時間は過ぎていく訳だから歳はとっていくのだが、やっぱり節目として数字に表れると、ああっ、歳をとってるんだなぁと感じる。

 五十才。年寄りだぁ、という気持ちで気落ちするのかと思ったのだが、なんとなく嬉しい。数字的な区切りが嬉しいのか、半世紀生きてきたことが嬉しいのかはよく解らないんだけど。なんか、勝ってに再生してるような気になってる。錯覚なんだろうけど。肉体は確実に衰えてる訳だし。
 
 やりたいことはいっぱいあるので長生きはしたい。でも、明日死んでも悔いの残らないように生きたいと思うのだが、なかなかそうも行かない。

04/02/2007 やっぱり農業かな
 何につけても、素材は大事だと感じる。料理を作っていても素材が悪いとさすがにどうしようもない。特に僕なんかのように塩だけなんてシンプルな料理が多いと確実に素材の善し悪しに出来は左右されてしまう。特に野菜の味の差は激しいものがある。料理をしながら興味は素材へ素材へと向かっていく。

 農業というものを考えてみると、作物だけを作るというのではなく、思想というかそういったものが大事なのかなと思っている。何故なら、食物により人は作られていくから。インスタント食品の様な添加物まみれの安易な食べ物だけを食べていると、やっぱり安易な人間になってしまうんじゃないのかなと・・・。きちんと育てられたり、普通(化学物質ではない)の材料を使いあたりまえ(変な加工をしない)に作られた物を食べることで何かが変わるような気がする。

 人だけでなく、環境汚染や温暖化や原発なども農業と密接なところにある。もちろん、漁業も林業もそうだ。この、農業や漁業は農薬や放射能などの汚染を受けやすい状況にある。地球を、あらゆる汚染や危険から少しでも遠ざけるのは一次産業のありかたにかかっていると思う。一次産業を中心として物事を考えれば自然と暮らしやすい社会になるのではないのかなぁ・・・。もちろん、一次産業にも問題はある。農薬の散布や化学肥料による土壌汚染、延縄漁による水産資源根こそぎの資源の枯渇、杉や檜の植林による洪水や土砂崩れなど色々あるのだが。

 では、どうして一次産業がこのようなことになったのか。それは、経済至上主義がそうしてしまったといえる。もちろん、お金はないと困るのだが、必要以上に利益を上げ環境破壊をし、後生に残すものがないなんてことに成ってきている。この、金満主義は企業だけではなく個人までにも広がり、無自覚なのだろうが金を出してるからいいという感覚。つまり、食べ物を平気で残したりする。自分も含め、植物であれ動物であれ生き物の命を奪っているという気持ちにかけているように思える。無自覚というのは一番怖い。

 農業には、ずいぶんと昔から興味があって、最終的には農業かなって漠然と思ってたんだけど・・・なかなか踏み切れないもので二の足を踏んでいたのだが、今日ついに農業への第一歩を踏み出す。踏み出すといっても、ホントに小さな一歩なのだが・・・高知の山間部にある有機のがっこう「土佐自然塾」という農業実践塾で一年間学ぶことにした。そして、来年は本格的に就農ということになる。軌道に乗ったら畑の見える所に庵を造り食事を提供できればなどと夢見ている訳なのだが・・・。農業を基盤として、些細なことから全体までもっと色々と考えてみたい。

 時間のある人はぜひ遊び?に来ておくれ。一泊1000円+三食1500円で泊まれます。農業研修付きだよ。遠いけどね。


土佐自然塾
http://www.tosa-yuki.com

02/27/2007 何故にこんなに不味い
 訳あって、とある市立病院で健康診断。午前中に診断して午後に結果を受け取るわけだが、昼に時間が空いてしまったので病院内にある食堂?で食事をした。

 ショーケースの中には、スパゲッティーやカレーの模型?が入ってる。店中に入ってナポリタンを頼む。出てきたスパゲッティーは期待通り柔らかい麺でケチャップ味。想像通りとはいえやはり不味い。というより、旨い不味い以前だ。値段は450円。一見安いようだが、原価は多く見積もっても60円くらい。原価が30%とすれば200円。20%でも300円。もう、450円というのは高すぎる。

 しかし、不味いのはここだけではない。公共施設に付随する食堂のほとんどが酷い状態にある。区役所、市役所、図書館等々許し難い状態だ。確かに、金銭的には安いのだが、対価ではない。料理の質に対して高い。たぶん業者に委託しているのだろうが、料理の質、原価に対して高いということは利益率がいいということになる。う〜ん、なんだか怪しい。凄く怪しい。

 こんな酷い物を提供しているから客が少ない。結構いい場所にある庁舎でも客が少ない。渋谷区役所なんかあんなにいい場所にあり職員も多いはずなのに、昼に行ってもがらがら。たしかに、渋谷区役所の食堂なんぞいは味は不味さを越え、雰囲気はおぞましい。そこに入ることすら勇気が要るのだが・・・

 公共施設の食堂。美味しい物を提供すれば市民も普通に使用でき、集客が増え行政も利益を得る事ができるだろう。また、安く美味しい物が食べれれば市民も嬉しい。


02/05/2007 霧を見たかい
 昨日の朝日新聞を読んでいて唖然とした。コロンビアにアメリカ軍により農薬の空中散布が行われ農民や作物に甚大な被害を及ぼしているというではないか。

 事の起こりは、反政府活動を行うゲリラ対策として、コロンビア政府がコカの栽培で利益を得てる反政府ゲリラの資金源を絶とうしたものらしい。コロンビア政府が頼んだのかアメリカ政府が申し出たのかは明かではないのだが、利害が一致したということだろう。

 しかし、農民はたまったものではない。農薬により皮膚はただれ、頭痛、吐き気などあらゆる症状に悩まされてるという。また、家畜は死に農薬の付着した部分のバナナの実は黒く焼けただれて食べることもできない。戦争でもないのに、なんて酷い惨状なんだろう。

 さらに、この情報はエクアドルからのものでコロンビアから発せられているものではない。コロンビア政府にとって不都合な情報は当然海外には流れない。農薬はゲリラの多いコロンビアとエクアドルの国境地域に散布されている為、エクアドルの農民も同じように被害にあっている。エクアドルの農民の話であるからそれ以上大量に撒かれているコロンビア国内の被害は相当のものなんだろう。

 このアメリカ軍による農薬の空中散布は2000年に開始されている。農薬の濃度は通常使用する時の100倍。家畜が死ぬほどの毒だ。ベトナムにまき散らした枯れ葉剤のように、既に次の世代への影響が危惧されている。己の権力を維持するために酷いことが行われている。なんともやりきれない。

 我々がテポドンに気を取られてる間にも、南米の熱帯雨林で奴らは相も変わらずインディアン狩りを行っている。

02/03/2007 「LOHAS」つて何?
 最近ちまたで、よく耳にする「ロハス」という響き。「ローハス」とも言うらしい。この、耳障りのいい響きとなに何となく違和感というか怪しげな雰囲気を感じていた。常に商業的な物との結びつきを感じてしまうからかもしれない。商業のであることは何ら問題はないのだが、思想やスタイルというものを打ち出してるようで、その実は儲けることが最終目的にあるところが見え隠れしてしまうのは、ちょいと気色悪い。

 「LOHAS」、何のことやらよく解らない。たぶん、健康とかゆったり生きることとかを大切にする生活を言ってるんだろうなっていうのは何となく解る。しかし、何の略なのかとか本来の意味合いだとかよく解らない。身の回りの人に聞いても明確に答えてくれる人はいない。そこで、検索して調べてみた。

 まず、「LOHAS」とはLifestyles Of Health And Sustainability の略らしい。意味は(健康と持続可能性を重視する)ライフスタイルというころらしい。解ったようで、よくわからんが。 「Sustainability (持続可能性)」とは人間が文明の利器を用いた活動が、将来にわたって持続できるかとどうかを表す概念らしい。素直に見れば、健康と自然を大事に融和して無理ぜずに生きていこうという感じにとれる。良いことではないですか・・・

 「LOHAS」の誕生は1998年、アメリカの社会学者と心理学者の15年の調査により、環境や健康への意識が高い人々の存在を確認したこと元に、起業家と協力しマーケティングコンセプトとして開発された。何のことはない最初から商品として作られた言葉だった。日本では2002年、日経新聞が初めて「LOHAS 」を紹介。その後、2004年に雑誌「ソトコト」が特集を組んだことにより「LOHAS」という言葉が日本人に広まったようだ。しかし、本家のアメリカでは「LOHAS」なる言葉は殆ど使われていないらしい。

 さて、問題なのはこれから。ご存じの方もいると思うが、僕は全然思いにもよらなかった。驚いたことに「LOHAS」とは登録商標なのだ。「ソトコト」を編集しているトド・プレスが中心となり一業種一社を基本として、「ロハス」という言葉を使用利用権を販売する。ライセンスビジネスとして展開しているらしい。と、いうことは「ロハス」という言葉は広告などには安易に使えないということです。著作権の侵害として訴えられます。別に、使えなくても困りゃしないけどね。

 まぁ。この「ロハス」という言葉。お金儲けの為だけにあったんですね。納得。

01/26/2007 「美しい」を返せ!
「美しい日本」という、いかにも広告代理店が考えそうなキャッチフレーズを掲げて発足した安倍政権。発足当初から外来語混じりで訳のわからない「美しくない」日本語を連発。政策に関しては、深く審議する間もなく教育基本法や防衛庁が防衛省に格上げされたり、中川幹事長の核保有を望むような発言。なんとも、全てが力ずくで、やりかたが美しくない。最近でも「ホワイトカラーなんちゃら」と訳の分からない言葉で国民を煙に巻く。

安倍総理は、「美しい」という言葉の意味を理解しているのだろうか?「うつくしい」という大和言葉。この響きでさえなんとも「美しい」ではないか。しかし、安倍総理やその周りの連中によってこの「美しい」という言葉は汚されてしまい。今や、その輝きを失いつつある。なんということだろう。

中身が汚い物ほど、きれいな言葉で飾ったりするものだ、以前にも書いた「本○○」の様に。安倍政権、よほど汚い物をお持ちと見える。「美しい」言葉が汚くかすんでしまった。

連中には「美しい」という言葉を日本人から奪ってしまった実感は無いのだろう。ホント、返して欲しいよ「美しい」を。

01/24/2007 「六ヶ所村ラプソディー」を観て
その映画を見終わると、いっとき僕たちは口を開くことができなかった。大変なことが行われてる。そんな重い気持ちが体中に充満して、無言で映画館の階段を上った。「六ヶ所村ラプソディー」使用済核燃料再処理施設のある村のドキュメンタリー。使用済核燃料再処理施設が六ヶ所村に作られたことは知っていたのだが・・・、ただ漠然と知っていただけで、事の重大さはなんにも解ってなかったのだ。

煙突から吐き出される放射性物質は、容赦なく農産物にふりかかる。排水溝から出される廃液は沖合から潮の流れで海岸へと戻ってくるという。しかし、国と日本原燃は安全だと言う見解で2006年3月に試運転を始めた。その、17ヶ月後の今年の8月に本格的稼働が始める予定となっている。その間、450トンの使用済み燃料から4トン前後のプルトニウムを抽出する予定らしい。

使用済核燃料再処理施設とは使用済みの核燃料(ウラン)からプルトニウムを取り出す作業が行われる。そして、そのプルトニウムを核燃料として再使用していくという国家プロジェクトと繋がっていく。が、しかしプルトニウムを燃料として稼働するはずの高速増殖炉「もんじゅ」はナトリウム洩れ火災事故を起こし、試験稼働さえ停止している状態だ。

この、プルトニウムを使用する高速増殖炉は、通常の原子力発電所である軽水炉発電所より更に何倍も危険な発電所である、と考えて良い。その理由は、冷却にナトリウムを使うことが大きくあげられている。実際、ナトリウム洩れ火災事故により各国の高速増殖炉は中止されている。今や、高速増殖炉は世界で唯一日本の「もんじゅ」だけが稼働を目指している。暴走しやすいプルトニウムの問題もある。ひとたび暴走を始めると軽水炉原発より一桁早く、手が付けられないらしい。角砂糖1個分の量で2000万人殺せるという、プルトニウムの毒性の危険性もある。角砂糖5個分もあれば日本全滅となる。なんとも、恐ろしい。

英国セラフィールドの使用済核燃料再処理施設でも事故は相次いでおきている。なのに日本では、ほとんど報道されていない。何故?稼働から50年弱、かつて海水浴客で賑わったセラフィールドの海岸には、今はだれもよりつかない。放射性物質で汚染されてるからだ。

セラフィールドの12.5Km以内に住む子供たちの白血病にかかる割合は他の地域の10倍だという。映画の中で、セラフィールド近くの島マン島の漁師が言う「頭の二つある海老や奇形の魚はいっぱいいるよ。運転が始まる前に、ちゃんと海の中の調査をするんだ。運転前と後でどう変わったかが解るようにね。そうしないと、保証もしてもらえないから」と心配してくれていた。

監督は、この映画は中立の立場で作ったという。だから、反対派も賛成派の人も取材をしてある。各々個人に判断して貰おうということなのだろう。中立に作っているからこそ、六ヶ所村の危険性がひしひしと伝わってくる。いや、危険なのは地球全体なのだ。もっと危険なのは、便利だからとか儲かるからといったことで、本当に大事なことを見失っている我々の心ではないか。

この、六ヶ所村核燃料再処理施設の建設費用が約2兆1900億円。現在、電力会社の開発予算は原子力発電に90パーセント、自然発電に1パーセントらしい。核燃料再処理施設の事故では莫大な修理費用がかかることが英国セラフィールドの施設の例でも解っている。この、核燃料再処理施設の経済的であるという国の理屈は到底理解できない。2兆1900億円を自然発電の開発に使った方がよいのではないか?素朴な疑問が湧く。


「六ヶ所村ラプソディー」
http://rokkasho-rhapsody.com

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