作品
経歴
論文
Yo Ota 実験映画作家:太田 曜
作品|DISTORTED "TELE" VISION

■DISTORTED "TELE" VISION
ディストーテッド“テレ”ヴィジジョン
1997年/カラー/サウンド/11分
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 この映画は、風景の中に、ヴィデオ・モニターが置かれているという画面によって基本的に構成されている。画面内のモニターには、そのモニターが置かれている場所の風景が写し出されている。ヴィデオ・モニターが置かれているのは、六つの異なった場所である。一つの場所で基本的にワンシーンが構成されている。全体は、この異なった六つのシーンによって成り立っている。

 シーン1は、窓から雪景色が見える部屋の中。窓のすぐ下は鉄道の駅で、そこに電車が入って来る。遠方には、トラックやバスが行き来する高速道路と、スキー場が見えている。空は、どんよりと曇っている。撮影は一定時間毎のインターバルで数秒ずつで行なわれている。一見連続したワンカットのように見えながら、実は、間の時間が抜かれている。モニターの中にも、窓から見える風景が写っている。こちらは、ワンカットで切られること無く撮影されている。画面全体としては、同じ場所の連続した映像と、一見連続しているように見える映像が、合成によって共存している。

 シーン2は、高速道路を走る車の中。フロントグラス越しに流れる風景と、追い越して行く車が見える。モニターのとなりでは、ドライバーが煙草を吸い、携帯電話をかけながら運転している。このシーンでは、幾つもの撮影スピードが不規則に現われる。ある時はドライバーの動きと、窓外を走る車が猛烈ないきよいで動き、走る。また、ある時は、それらの動きがいわゆるノーマルな動き(24コマ/秒で撮影して24コマ/秒で映写したものを一応このように呼ぶとすれば)と微妙にずれている。さらに、動きが逆転(撮影時に送られたフィルムの方向と、映写時に送られたフィルムの方向が異なっているものを、一応こう呼ぶことにすれば)するカットがモンタージュされている。一方モニターの中には、時間的には、いつも同じ方向へ、同じ早さで進む、同じ場所の、同じ時の、同じ動きが写し出される。

 シーン3は、町はずれの比較的交通量の多い道路の脇。道路には車や自転車が行き来している。その状況は、初めのうちはスローモーションで、やがて、徐徐に動きが早くなり、最後には猛烈なスピードとなっていく。このシーンは、基本的には同ポジ、ワンカットで撮影されている。編集時に幾つかに分けられインサートカットが入れられたが、順序は変わっていない。そして、その道路を往来するものの様子がモニターの中に、ノーマルスピードで写し出される。

 シーン4は、雨が降る河原、カメラは360度パンする。パンをするカメラの前には、同じ場所の画像が写るモニターがある。パンをしても、画面内のモニターは常に画面内の同じ位置で追従する。撮影時のコマ速は定速からコマ落としまで変化するので、パンそのもののスピードも変化することになる。

 シーン5は、彼方に山を望む畑の中。画面左側に、同じ場所で撮影された空と雲が写るモニターが、置かれている。このシーンでは、一定時間毎のインターバルで撮影された同ポジ、フィックスの数秒間ずつの短いカットが編集されている。その編集のされかたは、始めに、3.5秒程度のカットが、撮影された時間(時刻)の順番で、長い一つのシーンでつなげられている。次に、同じ順番で、同じカットから切り出された0.5秒ずつが、つなげられている。この短いカットのつながりも一つのシーンとなっている。間に、同じ構図でモニターの無い、コマどりのカットと、ヴィデオで撮影された空と、雲のモニター画面の再撮影がインサートされている。さらに、最後に、モニターが無い同じ風景のコマどりがつながれている。畑で働く人がちょこまか動き、フルスピードで雲が流れる。

 シーン6は、堤防の上に置かれたモニター、その奥は河、そして遥か遠方には山並みと空。モニターの中は同じ場所の風景。このシーンは基本的に同ポジ、ワンカットのコマどりで終始する。晴れ渡った空に雲が流れ、やがて、山並みの彼方に日が沈む。最後は、ほとんど暗くなった風景の中に、明るいモニターの画面だけが残る。


作品の来歴

 この映画は1997年1月東京で行なわれた個展で初めのヴァージョンが上映された。映画は、基本的には4シーン構成の約6分間のサイレント作品だったが、個展会場で上映の際、山崎修氏がライブで映写機のファンからの風で風鈴を鳴らすなどして音をつけるパターンもあった。その後、4月のイメージフォーラムフェスティバル1997では、6シーン、光学サウンドトラック付き10分30秒のヴァージョンとなった。個展会場で鳴らされたのと同じ風鈴もミキシングの時鳴らされ、山崎修氏がシンセサイザー等で作った音や、映写機の廻る音と共にミックスされてサウンドトラックに焼き付けられた。

 個展会場では、スクリーンに映写される映画『DISTORTED "TELE"VISION』を巡る展示と、ループフィルムによるエンドレス上映があわせて行なわれた。

 展示されたのは編集でカットされ、映画に使われなかった“NG”フィルムを繋ぎ合わせたもの。そして、同じ様なNGカットを繋ぎ合わせ、さらにそれを写真にしたもの。

 一方、ループフィルムは二台の映写機で、二種類のフイルムがエンドレス映写された。ひとつは、映画のなかに使ったのと同じアニメーションのカットを両穴(パーフォレーション)のリバーサルフィルムで撮影し、一回ねじってメビウスの帯としたもの。二つ目は、映画で使ったのとおなじ場所で、同じ時間帯に、コマどりで撮影された風景が普通のループにされたものだった。この二つのループフィルムは個展会場の窓に貼られた透過スクリーン上に、重ねて映写され、会場の中からも、外の道路からも見えるようになっていた。また、会場の中には、映写されている風景を撮影したのと同じ場所で、同じ時間帯にヴィデオで撮影された空が写し出されているモニターが置かれた。

 映画『 DISTORTED "TELE"VISION 』は、個展では展示と同じ場所で、別の時間に上映された。展示と映画を両方見ることで、撮影時に流れた時間のNG分を含めた全てを見ることになる。

 映画 DISTORTED“TELE”VISION 

 映画は、連続して写真的な記録をする仕組みと、運動を視覚的に作り出す仕組みが総合されて誕生したと言われている。総合されたそれらの技術によって、人々は、映画の中で、再現された現実や、創造された現実を経験する。

 平面であるスクリーン上の、色付きの光の濃淡、あるいは、光の明滅を、私たちはどうして、再現された現実だと納得するのだろうか。レンズとフィルム(と現像)によって、光学的、化学的に定着された映画のひとコマひとコマは、当然のように動いてはいない。その動いていないひとコマひとコマが、間欠的に映写されることで動きの錯視が生じる。

 目の前にある現実を、目に見えるように記録したいというのは人類にとって大きな夢だった。一万年以上昔とされる、洞窟に描かれた壁画も、二次元上に三次元の空間(と運動)を記録しようとする最初の試みの一つだ。

 透視遠近法はカメラ・オブスキュラを使うことでその精度を飛躍的に向上させる。しかし、やがてカメラを通して見られるものは、写真と言う手段で記録されることが可能となる。そうなってからは、現実を記録するのはもぱっら写真がおこなうようになる。遠近法的写実絵画を助けるために使われていた道具が、現実の記録をする。主客の転倒である。さらに、それまで遠近法的写実絵画によって、現実の記録(再現)を見ていた人々は、そうした絵画を描くための道具を使って写された写真を、現実の記録(再現)として受け入れた。何という皮肉な話だろう。さらに、皮肉なことは、写真が発明された頃、肖像画等を描いていた画家の多くが写真家に転業することだ。そうして、転業した元肖像画家だった写真家の一人に、リュミエール兄弟の父アントワーヌがいたのも、やはり皮肉な事かもしれない。大昔から、人類の夢だった現実を記録するということを、人間の目と手を使ってそれを行なうために使われていた道具、カメラによって、おそらくは考えられていたのとは異なった形で、実現されてしまうのだから。

 カメラを使うことで発展した透視遠近法は、二次元上の、三次元の再現について、人々を教育することになった。こうした、歴史的経緯があればこそ、写真と映画の誕生を、人は現実が再現されたものとして受け入れたのだろう。そうなると、私たちが映画の画面を、現実をカメラが写し取ったものとして見るのは、一定の知識や経験に基づいているからだ、と言うことになる。私たちは、スクリーン上の光の明滅を、決して抽象模様とは見ていない。形のあるもの、奥行きのあるもの、そして動いているものが再現されていると思って見ている。

 映画の画面の見られ方が、知識や、経験に基づいた習慣、あるいは、認識に依っているのならば、これまでに無いような画面を創造することは、映画の画面について、新しい認識を提示することになるのだろうか。

 映画『DISTORTED“TELE”VISION』では、6つのシーンのそれぞれと、それらが合わさった全体で、映画でしか出来ない空間と運動に関する実験が行なわれている。この、実験が目指すのは、これまでの習慣や認識に従った見方では、理解することが出来ないような、新しい画面を作り出すことに他ならない。


作品|DISTORTED "TELE" VISION
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