作品
経歴
論文
Yo Ota 実験映画作家:太田 曜
作品|OFF THE SYNC

■OFF THE SYNC
2002年/16ミリ/パートカラー/光学サウンド/9分
サウンド:山崎 修
協力:皆木正純 片山 薫 水由 想 水由 湧
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 この作品は3つの短いシ−クエンスで構成されている。それぞれのシークエンスには題名が付けられている。最初のものは『教場の出口(Sortie d'usine à diplomés)』2番目は『子どもの食事(Repas de gosse)』3番目は『早稲田駅への路面電車の到着(Arrivé de tramway à Waséda)』であった。これら3つのシ−クエンスは、リュミエ−ル兄弟が1895年12月28日、パリのグラン・カフェ地下1階インドの間で、シネマトグラフの一般公開(映画の誕生)を行った時に上映された作品と関係している。言うまでもないが『工場の出口(la Sortie des usines Lumière)』『赤ん坊の食事(le Déjeuner de Bébé)』『ラ・シオタ駅への列車の到着(l'Arrivé d'un train en gare de La Ciotat)』の3作品である。

 最初のシ−クエンス『教場の出口(Sortie d'usine à diplomés)』2は、2台のカメラを使って撮影した。ハ−フ・ミラーを使った簡単な装置を作り、2台のカメラで同じ瞬間の同じ構図の映像が撮影出来るようにした。1台のカメラにはカラ−フィルムを入れ、24コマ/秒で撮影した。もう1台のカメラにはモノクロフィルムを入れ、12コマ/秒で撮影した。

 撮影された映像は、基本的に同じ瞬間の同じ構図のものだが、撮影時のコマ速と、カラ−フィルムとモノクロフィルムという違いがあった。こうして撮影されたフィルムは現像所へ出されることはなく、自家現像で処理された。

 現像されたフィルムはJK104オプチカルプリンターを使って、16ミリフィルムへブロ−アップされた。ブローアップでは24コマ/秒で撮影されたカラーのものは1対1の単純な再撮影が行われた。12コマ/秒のものは、まず1対1の単純な再撮影、さらにブローアップされる16ミリカメラ側で2コマずつ撮影する“コマ伸ばし”で再撮影した。

 最終的な上映プリントではこのシークエンスは、24コマ/秒のカラーのカット、12コマ/秒のモノクロのカット、12コマ/秒のモノクロのカットを“コマ伸ばし”で24コマ/秒にしたカットの3つで構成されている。

 2番目のシ−クエンス、『子どもの食事(Repas de gosse)』も1番目のシ−クエンスとほぼ同じように2台のカメラで同時に撮影された。ここでも最初のシ−クエンス撮影の時に使ったハ−フミラ−付きの装置を使い、同じ瞬間同じ構図のカットが撮影されている。カラ−フィルムが入ったカメラは24コマ/秒で、モノクロフィルムが入ったカメラは12コマ/秒で撮影した。

 撮影したフィルムは最初のシ−クエンスのものと同様に自家現像処理した。そして、それらの撮影済みフィルムはJK104オプチカルプリンターで再撮影された。

 再撮影のやり方は、カラ−に関しては最初のシ−クエンスと同じように1対1の単純なものであった。モノクロは1対1の再撮影、さらに出し側スーパーエイト・フィルム1コマに対し受け側16ミリフィルムを2コマにする“コマ伸ばし”を行った。

 そしてもう一つ、コマ伸ばしだがひとコマおきに黒味を入れた再撮影を行った。出し側のスーパーエイト・フィルムを、まず1コマ受け側の16ミリフィルム(カメラ)で撮影する。そして16ミリフィルムは1コマレンズに蓋をして撮影する。画面は1コマ分黒味になる。出し側のスーパーエイト・フィルムを1コマ進ませ、またこれを撮影する。そして、受け側の16ミリフィルムは再びカメラに蓋をして撮影し黒味にする。このように繰り返して撮影し、実際にス−パ−エイト・カメラで撮影された12コマ/秒のカットは1コマおきに黒味が入った24コマ/秒に変造された。

 このふたつめのシークエンスは、まずカラーの24コマ/秒のカット、次にモノクロの12コマ/秒のカット、そしてそのカットを“コマ伸ばし”して24コマ/秒にしたカット、さらに“コマ伸ばし”で24コマ/秒にしてあるが、撮影時のコマとコマの間に黒味をひとコマずつ入れたものが編集でつながれている。

 最後のシークエンスは『早稲田駅への路面電車の到着(Arrivé de tramway à Waséda)』でだ。ここでは3台のカメラを併置する簡単な装置を使い、同じ構図で同じ瞬間が撮影された。3つのカットが、コマ速とカラーとモノクロというフィルムを変えて撮影された。カラーフィルムでは24コマ/秒のカットが、モノクロフィルムでは12コマ/秒と48コマ/秒がそれぞれ同時に撮影された。

 こうして撮影されたスーパーエイトフィルムは他のシークエンス同様現像所に出されることなく、自家現像処理された。

 それぞれコマ速、カラー、モノクロというフィルム種別が異なった、同じ瞬間の同じ構図が撮影されたこれら3つのカットは、JK 104 オプチカルプリンターで16mmフィルムにブローアップされつつ、再撮影された。

 24コマ/秒で撮影されたカラーのカットは1対1の再撮影が行なわれた。

 48コマ/秒で撮影されたモノクロのカットは1対1の再撮影、そして、出し側のスーパー8フィルムで1コマ出し、受け側の16mmでまずそれを1コマ撮影し、次に出し側のスーパー8フィルムを1コマ空で送り、その次の3コマ目を受け側の16mmで撮影し、再び出し側のスーパー8フィルムは空で送り、5コマ目を16mmで撮影し、ということの繰り返しで48コマを“コマ抜き”で24コマ/秒にしたものを作った。

 12コマ/秒のカットでは、それまでと同様1対1の再撮影をまず行なった。さらに、ほかのカットでやったように出し側1コマにつき受け側2コマの“コマ伸ばし”で再撮影を行なった。

 こうして再撮影によって作られた16mmのカットは、まずカラーの24コマ/秒のカット、次に48コマ/秒を1対1で再撮影したカット、次に12コマ/秒のカットをコマ伸ばしで24コマ/秒にしたカット、さらに12コマ/秒のカットを1対1で再撮影したカット、最後に48コマ/秒のカットをコマ抜きで24コマ/秒にしたものとつながれている。

 これら3つのシークエンス撮影に使った装置は、複数のカメラで、同じ構図で、同じ瞬間が撮影できないかとのことで作られたものだった。1番目と2番目で使った装置は2台のカメラを併置し、それぞれのカメラの前にはミラーとハーフミラーを組み合わせた仕掛けで同じ構図、同じ瞬間が撮影出来るようにしたものだった。3番目のシークエンスで使った装置はもっと単純に3台のカメラが並べて設置出来るようなものだった。撮影にはコマ速が選択出来る全く同じスーパー8カメラが使われた。

 撮影に使用したコマ速は24コマ/秒、12コマ/秒、48コマ/秒の3種類だった。これらのコマ速は、はじめから再撮影する際に“コマ伸ばし”“コマ抜き”をすることを前提に選択された。上映用のコマ速24コマ/秒のそれぞれ2分の1、2倍で、再撮影の時にはそれらを逆に2倍、2分の1のコマ数とし、偽りの定速24コマ/秒を捏造しやすい数値だった。

 映画では経過した時間が、撮影と映写によってそのまま“記録”され、また“再現”されるかに思われがちだが、ことはそう単純ではない。純粋に映画の技術的なことを考えても、時間経過をそのまま“記録、再現”することは出来ない。

 映画のカメラも映写機も、どちらもそのフィルムを送るコマ送り機構と、フィルムの感光乳剤(それが画像となった上映プリント)に光を当て、また遮るシャッターの機構から、そのようなことは出来ない。映画カメラ、映写機のシャッターと、コマ送りの機構は、間歇運動と連続運動の組み合わせで出来ている。シャッターが開くとフィルムにはカメラの場合はレンズ側から、映写機の場合はランプ側から、フィルムの乳剤面(あるいは画像面)に光が当てられる。この時フィルムは1コマ分だけアパーチュア部分で静止している。映画カメラ、映写機のシャッターは、その多くは回転する円盤の一部が切り取られたものが使用されている。切り取られた部分が半分ならシャッター開角度180度である。このシャッターが回転し、アパーチュア部分が遮蔽された時、フィルムは1コマ分だけ送られる。一般の映画機材では、この機構は世界中で共通だ。オプチカルプリンターのような再撮影用機材以外では、1度に2コマずつ撮影し、2コマずつ送る機構のカメラや映写機は存在しない。アパーチュア部分には、撮影時にフィルムを1コマ分だけ静止させるためのレジストレーションピンという爪が、掻き落とし爪とは別に付いたカメラもある。

 この間歇コマ送り機構が、映画のカメラと映写機の基本的な発明である。このことは、ミシンの仕組みからルイ・リュミエールが発見したというこの機構が組み込まれたシネマトグラフの登場を、普通“映画の誕生”と言っていることからも明からだ。ちなみに、撮影のためのカメラにも、上映のための映写機にも同じ機構が必要なことは、リュミエールのシネマトグラフが、カメラと映写機を1台で兼ねていたことからも分かる。

 普通、毎秒24コマで映写される35ミリ、16ミリの映画では、この映写スピードか撮影の際にもいわゆる定速として扱われる。毎秒24コマで撮影されたフィルムを、普通の映写機で映写すれば、撮影の時に見ていたのと同じ早さの動きがスクリーン上に再現される。

 そのために、映画を見る者は撮影時に経過した時間が、そのまま記録され、映写時にそれが再現されていると思う。しかし、映画カメラ、映写機が1コマずつのコマ送り機構で撮影、映写している限り、全ての時間経過を記録再現するわけにはいかない。例えば、180度のシャッター開角度を持つカメラ、映写機では、実際に露光、あるいは投影される光はカメラあるいは映写機が廻っている時間の丁度半分だ。

 OFF THE SYNC では、いわゆる定速の毎秒24コマは撮影時カラーフィルムが使われている。それ以外の撮影コマ速ではモノクロームフィルムが使われた。しかし、いずれの撮影コマ速のものも、16ミリへブローアップする再撮影時点では、何らかの原則で毎秒24コマへの捏造が行なわれている。もともと毎秒12コマしか撮影していないカットを2コマずつ再撮影することで偽の定速、毎秒24コマを作ったり、48コマを1コマずつ抜いて再撮影することで偽の定速、毎秒24コマを作ったりした。

 このようにして捏造した定速毎秒24コマと、撮影時点で“本当に”24コマ/秒で撮影したカットとの間に、どのような差異があるかを明らかにしようというのが作品制作の出発点だった。しかし、映画カメラ、映写機のコマ送り機構を考えても、そもそも24コマ/秒で撮影・映写する“定速”でさえも実際には経過した時間から捏造されたものだった。問題は、時間の捏造ではない。そのように捏造で作られた時間でも、我々は不足なく映画を見ることが出来ることが問題なのだ。

 映画の画面を見る時、リュミエール兄弟の時代とは違う私達は、それが映画の画面だということは既に知っている。このことは、映画を見る受容者にとって重要なことである。

 そもそも、2次元の平面であるスクリーン上の画面を、カメラの前にあった3次元の空間が“再現されたもの”と感じるためには、2次元画像に対する遠近法的理解が必要である。ルネッサンスと共にイタリアで登場する“線遠近法”あるいは“透視遠近法”は、その後カメラ(オブスキュラ、ルシーダ等)を使ってその“精度”が増していった。写真術が発明され、カメラを使う“透視遠近法的空間再現”は写実的空間再現の“唯一絶対的ものの見方”となっていく。カメラを使って撮影した映像や、そうした映像を規範として制作されるコンピューター・グラフィックスなどは、三次元の現実の空間を二次元の平面上に再現(表現)するのは透視遠近法的方法しかないと見る者を“教育”する。

 OFF THE SYNC では、始めに撮影された8ミリ・フィルムは現像所へ出さずに、自分で現像した。現像所が定める仕上がりの基準に合わせて、撮影したり、現像したりすることを望まなかったからだ。16ミリ・フィルム へのブローアップは、元の撮影映像から考えれば当然画質は劣化する。特にグラデーションがなくなり、いわゆるコントラストが強くなる。8ミリ・フィルムを自家現像にすると、更に一層の高コントラスト化がもたらされる。そのことは、受容者にとっては、世の中の見なれた映像の規範とは異なったものということになる。

 遠近法による空間の再現のやり方は、透視図法だけがその方法論ではない。ルネッサンス以来多くの画家、建築家、美術家、等が研究をしてきた。空気遠近法と呼ばれるものでは、近くにあるものははっきり描き、遠くにあるもの程ぼけて描いた。これは、必ずしも実際の人間の視覚に忠実な再現的描き方とばかり言えないが、描く方も受容する方も、二次元の画面上の表現方法として受け入れてきた。

 対象の明暗の様子を可能な限り画面上に再現(あるいは強調)して描くのも遠近法とは直接呼ばないものの、見かけの現実感を作るためには大切なことだ。カラヴァッジオや、レンブラントといった画家は、光源とそれによって照らされる対象物に出来る光の当たる所と影を、画面上で描き分けることで絵画に一層の現実感をもたらした。

 自家現像で意識的に処理された特に8ミリフィルムでは、あるいはそれを16ミリにブローアップしたものでは、グラデーションや、空気遠近法的なシャープネスとボケの区分けが曖昧になる。そのことは、画面上の現実感を薄くする。映画は、写真術にその記録再現のところを負っている。写真術は空間を、何とか精密に、透視遠近法的に破綻なく記録再現する方法として生まれた。写真で撮影される対象は、それまで透視遠近法や、その他の方法を使って絵画でなるべく現実的に描きたいと思われていたものだ。そうなると、写真は限りなく絵画が、透視遠近法を始めとする遠近法的空間再現技法に近付いたものとも考えられる。

 映画はそのような写真術を記録再現技術の基礎にしている。しかし、フィルムを意識的に自家現像処理で“荒らす”と、遠近法的再現から遠ざかる。遠近法的再現から遠ざかるということは、写真術、映画術と繋がっている現実の空間の遠近法的記録再現による“現実感、リアリティー”という考え方からも遠ざかることとなる。

 OFF THE SYNCが問題にするのは、こうして現実の遠近法的再現から遠ざかろうとしても、その映像がカメラによる撮影で作られている限り、“現実の記録再現”として見られてしまうということだった。それは、“現実の記録再現”映画の画面上のそれが遠近法に基づいている以上、カメラを使った透視遠近法で行なわれざるを得ない以上、受容者はルネッサンス以来引き継がれてきた描かれ方の一つの法則を受け入れているということだ。

 映画を見る時に、それが映画だという前提で見ている以上、三次元の空間が、遠近法によって再現されて二次元上に再現されたものは現実にあったもののように受容される。いかに、そこから遠ざけようとしても、映画を一つの制度的あり方の中で見る無言の強制は動きの変化にも同様に言えることだが、少しの操作では修正されてしまう。我々映画の受容者の視覚システムはそれだけ柔軟だとも考えらるし、硬直しているとも言える。

 OFF THE SYNC はそうした、受容者の“教育”によって培われた“映画の見方”を挑発する。


作品|OFF THE SYNC
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